のざき牛について
横になって寝転んでいるのもいれば、人にすり寄ってくるのもいる。畜舎内で目を閉じると、薄く流れるクラシックのBGMと換気用送風機の音しか聞こえない。牛さんの鳴き声はおろか、動き回る音もない。どうしてこんなに静かで穏やかな牛さんばかりなのか。
子牛の仕入れ時、人が触れるとビクビクしたり落ち着かない子牛は選ばない。
その性格や性質は、生まれてからの育て方によるところが多い。人が子牛に荒く接してきたり、愛情を感じない育て方をされていると、落ち着きのない子牛になる。
牛さんの言葉は解らない
でも、何かを言いたい、何かを伝えたいときがあるはず。
担当スタッフはそれを感じ取れるくらい、牛さんとの繋がりを深めておく必要がある。その上で頭を使い、心を遣い、先輩に尋ね、より良い解決策を探る。
「のざき牛」の牛さん作りは、これができるかどうかにかかっている。
畜産業を営む全国平均年齢は60才以上と言われる中、のざきスタッフの平均年齢は25歳。体も自由に動き、多少の無理も利く。頭の回転も早く、学ぶ事にどん欲。慣習や決まり事に縛られることなく、「牛さん」のために何を為すべきかを純粋に考えられる柔軟さを持つ。
経験の少なさは、社長をはじめ先輩方との密な連携により乗り越えられる。年齢が近い事は、団体としての取り組みや新しいことへの挑戦にも舵が取りやすい。
学校で学んだ農業の知識はもちろん大切。しかし、命を育てる「のざき」の肥育では、農業学校で学んだ知識は1割程度しか役に立たない。
一番の適正は「牛さんが好き」「命が好き」「生き物が好き」という大前提。
これが無い人は最初から向いていない。
畜産を突き詰めたければ、上も奥もとことん追究できる環境が「のざき」にある。
平成18年7月22日夕刻。
連日降り続く大雨に、川内川の堤防が決壊。川沿いに牛舎を構える「のざき牧場」を轟音とともに濁流が直撃。当時牛舎にいた約1800頭の牛さん達が一瞬のうちに飲み込まれた。
牛舎の屋根まで届く2.5m以上の冠水。
重量400kg級の牛さん達は濁流の勢いに押し流された。
鼻先だけ水面から出して必死に泳ぐもの
牛舎の柵にはまり、身動きがとれなくなったもの
手足に重大な怪我を負い、泳ぐこともままならないもの
日頃愛情を込めて育ててきた牛さん達が流され、傷つき苦しんでいる姿を目の当たりにしたスタッフ達は、社長の制止を振り切り、気がつけば糞尿だらけの濁流に飛び込み、牛さんを一頭一頭高台に引っ張っていった。一人また一人と飛び込むスタッフ達。
水が引くまでの24時間、のざきのスタッフと自衛隊、そして地元のボランティアの方々が必死に牛さんの救出に当たった。
濁流で散積した1m以上の糞尿と汚泥処理。
猛暑の中で連日続く復旧作業。
精神的にも肉体的にも限界状態が続いていた。
しかし、社長をはじめスタッフ全員、落ち込んでいる暇はなかった。
牛の導入、ライフラインの確保、壊滅した管理事務所のデータ復旧、システム整備まで、スタッフ全員がノウハウを身体で覚え込んだ。カミチクの全面協力、東京食肉市場や買参関係者のバックアップなど、全国からたくさんの支援の手が差し伸べられた。
その御支援のおかげで、被災から3日後には、床に積もった大量の汚泥をかき終え、一週間後には被災前に近い状態にまで復旧。8月の競り市では、計130頭の素牛導入を実現。
被災からわずか3ヶ月後の10月27日。
東京食肉市場の最大のイベント「平成18年度全国肉用牛枝肉共励会」において、最優秀賞を獲得。災害当時、濁流に飲まれた牛さんが、生命力の強さを見せてくれた。
さらに翌年「平成19年度全国肉用牛枝肉共励会」において最高賞である「名誉賞」を受賞。災害当時はまだ子牛で、トラウマになってもおかしくない状況にも関わらず、素晴らしい牛さんに成長してくれた。
これにより2年連続日本一を達成。この栄誉を受け、災害の中で牛さんの救出治療に全力を尽くしたスタッフ達は、犠牲となった牛さん達を想い、馬頭観音碑に手を合わせた。
危機を克服することで、スタッフ間の信頼関係が強固になり、牛さんへの想いはさらに強く深いものへと“深化”した。
決して揺るがない熱い思いを胸に、社長とスタッフ達は今日も牛さんに向かっている。